「左官というのはこころの仕事だ。」
ということは、折に触れて橋本さんはよく口にする。それはまるで自分自身に向けた言葉のように、そっと呟いていることが多い。2025年に手がけた仕事を振り返ってみて、施主となるお客様との距離感がここ数年と比べて近づいたそうだ。土壁で表現した仕事や作品をどのようにしていくかということを直接お客様とコミュニケーションを取りながらカタチにしていくという新たなフェーズに入ってきているからこそ、出来上がったものが自ずと自分に身近な存在になったのだろうか。それ故、日々の仕事一つ一つの現場、一つ一つの壁、さらにはひと塗りひと塗りが、あとから振り返った時に思い出深く、これまでとは意味やそこから生まれる価値に重きが置かれ、そうした姿勢を忘れることが無いように前述の言葉を自分に言い聞かせて意識付けしているようにも見受けられる。
そしてこうした姿勢を「こころを乗せる」と橋本さんはよく表現しているのだが、それは一体どういうことなのかと一度尋ねたことがあった。すると、自分が受け取った「ギフト」のようなものを自分の仕事を通して相手に渡す、これが橋本さんの言わんとする「こころ」の正体なのかもしれないと応えてくれた。
左官の工程はほとんどの現場が躯体が仕上がった建築の最終コーナーの時期に差し掛かる。工期の前半を棟梁の大工が仕切るのであるならば、後半はその建物の雰囲気が見てくれを左右する意匠を司る左官職人が棟梁のような役目を果たす時もある。といえば聞こえがいいのだが、現実問題、前半の遅れの帳尻を合わせるためにタイトな工期を強いられることもしばしばだそう。そうした現場の工期のしがらみ中、限りある中で踏み出す、ある種の勇気のいるもう一歩を最近は心がけていたそうだ。



思い返せば、自邸の寝室にLitを塗っていただいた時もそうだった。一階のリビングから天井を突き抜け二階の寝室に露出した状態で伸びている薪ストーブの煙突部分のくぼみのスペースの塗りをあえて一日遅らせたのだ。橋本さんの技術を持ってしてみれば、その部分も含めて一日で工期を終えてしまうことも容易なはずだったのだが、その時は、先に塗り終えた土の付いた壁が乾いた後に、狭い場所を施した方がより綺麗になるだろうという判断だったと語る。こうした技術的な部分で難所を乗り越えるのではなく、些細な心配りがあることで結果として満足のいく仕事ができるという良い例だった。手間暇を惜しまず、効率性を追い求めすぎない、つまりゆっくりとじっくりとスローになることで生まれる仕事のクオリティが、仕事とこころの距離を自然と近づけたのかもしれない。
ひと昔前であればそんなことには目もくれず、ただがむしゃらに現場の作業をひたすらこなしていたと語る橋本さん。けれど、人を雇い効率化を図ったところで自分の忙しさは更に増し、日々の充実とは程遠い生活になっていったそうだ。こうした自身の経験を振り返り、今はそうしたものからは距離を置き、手間暇や想い、心配り、つまり愛情といったことを大切に考えているそうだ。
人は経験したことの中でしか表現できない。きっと幼いどこかで手間暇やこころを大切にされた原体験があるからこそ、そこに立ち返ることができたのだ。
橋本さんは一体どんな「ギフト」を受け取ってきたのだろうか。