自分の価値と世の中の価値
橋本(以下H):当日はみんなこんなに今まで動いたことがあるのかなっていうくらい作業をしてくれたよね。自分の役割に全身全霊を注ぐってこういうことかという感じで。俺の方がみんなの熱量に飲まれていってしまった気がするな。
吉沼(以下Y):多分、体を動かしたり実験をするのが好きな子たちだったというのが大きいですね。普段は机上で論理的に考えている時間が多いので、こうした実際にフィールドワークに出て体を動かすというのは楽しかっただろうなと思います。
H:ちょっと寒くなってきた時期でもあったけど、結構ある意味“熱い”時間だったよね。動機とかモチベーションなどもあんまり明確じゃなかった中で純粋に動いてくれていることが驚きだったし、この感じってあんまり普段の仕事の中では感じられない感覚だったな。
岩井(以下)I:それが仕事とかビジネスになると少しその動機の部分が捻じれていくのかもしれませんね。こういった個人のプロジェクトの方が素直に目の前のやることに入り込めるというか、雑念が入り込まない状況なのかもしれない。どれだけ素で無垢な状況にいられるかって意外と大事だと思うのですが。研究という分野でもそうではないですか?
Y:そうですね、フラットで。なんなら、准教授からは全ての可能性を考えるという意味で、あらゆるバイアスを取り除いてものを考える、察るということをよく言われます。一つじゃダメって。仮説でも他の文献の蓄積で立てているところがあるので、その仮説にも囚われずに、そこで出た実際の結果との差分は何なのかということを探究していくということを意識しています。けれどその反面、その差分を深掘りしたところで、社会にとって意味があるのか、還元していけるのかという視点も同時に大切になってくるんです。
H:うわ。それは難しいよね。
Y:研究者としてどこかで踏みとどまらなくてはいけないところではありますね。
特に自分たちの研究フィールドでもある構造や建築分野とかは、なおさら社会との繋がり還元の部分を考えないといけないんです。
I:科学の研究と社会への還元という意味だと、最近個人的に家を建てたからかもしれませんが、構造とか機能とかにそういった話が家を建てるとメインになりがちだと思っていて、本来人が感じる空間の快適さって、そうした数字で表すことのできない部分にもあるなと個人的には感じているんですよね。
人が感じる快適さって、機能的な部分はもちろん大事だけれど、それ以外の要素が作用していることって必ずあるんですよ。光とか影とか、風とか。
H:そういう機能性だけをみんなが考えていると、結果として同じような建物が多くなってきちゃったりもするからね。それぞれの暮らしやライフスタイルというものがベースにあっての建物という訳にはなかなかなり辛いのかもしれない。かといって信州で冬過ごすとなると、断熱などの機能面も必ず考えないといけないことだから、作る側もなかなか難しいところではあるのかもしれないね。
I:建物を建てる場所によっても違うし、国が定めた基準はあるけれど、それが自分たちの感覚や価値とどれくらいフィットするものなのかわからないですよね。基準自体を疑うとまでは言わないですが、自分たちの感覚と照らし合わせていくことはやったほうがいいでしょうね。
H:性能としての数値で出るもの以上に感じるものがあればいいですよね。でもそれってやっぱり、素材でしかないと思うな。土だけではなくて、木とか石とかもね。そういうことは生きた無垢の素材でしか表れないと思う。製品になってしまっては、それ以上でも以下でもないからさ。





東洋大学の学生たちと協力して作り上げた版築小屋。橋本さんが普段から使用している土をベースに屋根として使用した鉄平石は学生たちと地元を車で走っている際に地元の方から分けていただくなど、自分の身の回りにあるもので作り上げた。アイビーが建物全体を覆い、自然に還ることが完成と橋本さんはいう。
無垢な状態であること
H:数値でいうと、そういえばこの前、どこからかここの版築小屋の話を聞きつけて、京都芸術大学の学生さんが来てくれてね。それで空間の温度と湿度を測っていったんだけど、小屋の温度も湿度も外より高いって数値が出てたんだよ。実際の体感としては小屋の中の方が圧倒的に涼しく感じるんだけどさ。それって何なんだろうね。
Y:温度と一言でいっても空気自体の温度と人間が感じる温度があって、そこに乖離があるんですよ。それに空気には対流があります。風が抜ける場所だと人間の皮膚の汗が冷やされて涼しく感じたりします。それに土には輻射熱というのもあるんですよね。土壁が熱や湿気を吸収してくれるので、なおさら感じ方も変わってきますよね。
I:そうかやっぱりそれって、実際にこうした空間の中に身を置いてみないと分からないことですよね。この距離感で土に囲まれたことがないから数値だけだとその体感の感触をイメージできないというか。
Y:蔵だとしても空間はもっと広いですからね。
H:そうだからこのサイズ感だと小屋を何かで活用するってことよりも、ただボーっとするための空間でいいような気がするんだよね。例えばサウナとかだとしたらもう少し狭くする必要があるだろうし。
I:あとはこんな感じで数人で集まって話をしたりするのにもちょうどいい距離感かもしれないですね。
H:そうですね。お茶会とかできそう。水場を作ってちょっと集まってね。
I:お茶を酌み交わして、お話するっていうシンプルなやつで。
H:そうそう、左官をやっていてその集大成を小屋で表現したいってずっと思っていたんだよね。その最初のイメージがお茶室だったんだ。だけど、お茶室ってなかなか使わないじゃないですか、お茶やっていれば別だけど。だから最初自分のライフスタイルとしてサウナ小屋かなって思ったけど、出来上がった空間に身を置いたら、話をしたり何かを感じる場所になったのかなって。実際作ってみるとその使い方のイメージはだいぶ変わったんだ。
I:落ち着くところに落ち着いたんでしょうね。自分自身に立ちかえられる場所で良いじゃないですか。
H:お茶をやったことがないから、それをやることでどういう変化があるのか気になるよね。体とか精神にどんな風に影響があるのか。だって昔は戦に出る前にお茶を嗜んで向かうということもあったじゃない。なぜそういうことをしたのかって気になるけど。
I:さっきの話に戻りますけれど、やっぱりそういった命を懸ける場に出向く前に自分自身が無垢の存在になるということなのかもしれないですね。茶室の入り口が小さく狭く、屈まないと入れなかったりで、まして刀は一度下ろさないといけないし、そうすると社会としての立場や階級はあったかもしれないけれど、所作や形式として見えない肩書きみたいなものを一度入り口で下して、茶の前では全てがフラットになるということが大切だったのかもしれないですね。
H:そこで無垢な存在になることで本来の自分を取り戻して、よし!と戦に向かったり、大切な何かを再確認するような場所だったりってことかね。そのための所作であり、空間であり。
I:型が意外と大事と聞いたことがあります。身体性を伴った所作が精神を整えていくといった感じで。お茶もその所作に意味があるんでしょうね。
Y:その所作はお茶は淹れる側と嗜む側のどちらに効果があるんでしょうね。
H:きっと淹れる側にも嗜む側にもそれぞれ効果があって、どっちがってこともないのかもね。お茶って個人でやるものでもないから、お互いに相手あっての行為。だから、作用し合うからそれぞれ所作が違っていても相手がいて初めて成り立つ、一体といったような感覚なのかもしれないね。ちょっとこれは、お茶、やってみたいね。いい茶室あるよって!
I:お茶について語らう会!
H:時代時代で形は変われど、いつの時代もそうだと思うんですけれど、茶室みたいに自分に返る場所を求めているって面白いですよね。吉沼さんはそんな場所はある?
Y:僕はいつでも、歩いている時でさえ自分を見つめ直していることが多いかもしれません。向き合う時間はこの場所じゃないとというのはあまりないですね。
I:それは今の状況が与えられたものに対して何か取り組んでいるか、自分の探究心や好奇心をベースで行動しているかという違いかもしれませんね。
Y:確かにもちろん与えられることもあるのですが、その与えられた意味や相手からの期待などを探っていくので、常に自分が軸にある感じですよね。
H:普通の人たちは会社に入ると組織が優先になるので、自分という主語を抑えがちになっちゃうからね。かといって社長とかトップの人も会社っていう組織を作った時点で、自由に思い通りにコントロールして探究していそうで、実はその人が一番色々なしがらみに苦しんでいそうで。
I:そうそう、誰かをコントロールしようとした時に、自分がコントロールされるっていう呪縛はあると思いますよ。
H:うん、自分の周りに人やものがいればいるほどそういうことってある気がするな。お金とか人とかものが増えれば増えるほど。
I:どれだけ囚われずに手放せるかってことが大事ってことですよね。
H:そのための茶室だね。
橋本左研の個人プロジェクト。版築という土壁の技法を用いて用途に縛られない空間を作り上げる。
建築における土壁の可能性を研究する東洋大学のチームの協力のもと2025年に完成。