土に囲まれた空間に身を置いたことのある人はどれだけいるだろうか。意匠として一部の空間の壁を土で施したりと、そういうことは今であればちょっとした“贅沢”として取り入れているかもしれない。けれど四方を土に囲まれる空間というのは、それを意図的に作り出さない限り、現代の家や建築の中ではあまり見かけることは少ないのではないのではないだろうか。ひと昔前であればそうした家ばかりだったはずだ。だからそういう状況や環境に身を置いた者しか分からない感覚が、当たり前だがそこにはあるはずだ。
視覚的に重厚感があるのは勿論のことでそれは想像に難くないのだが、こと、音の響き、聴覚においては想像の上をいく。というのも、ごくありふれた通常の空間の中であれば、話者同士が一定の距離感を保っていれば、その距離感にふさわしい声量の音が互いの耳に入り会話が成立する。けれど、ひとたび土壁で囲まれた空間、且つその空間が小屋のように狭く四方が土壁の空間であれば、話者同士の実際の距離に関係なく、音が響くことで直接耳元で話をしているかのよう、いわんやお互いのこころを響かせあっているように感じるから面白い。




橋本さんの版築小屋が出来上がった。構想から数年が経ち、ようやく自邸の庭に鎮座する版築で仕上げた小屋が、まるでそこに今までもあったような表情としてそこに佇んでいる。この完成された版築小屋の中で、今回のプロジェクトを研究者という立場で支えた東洋大学大学院の博士課程で土壁の構造を研究する吉沼さんと一緒に今回の版築小屋について振り返る機会を得た。
橋本さんと吉沼さん、二人の出会いの事の発端は、橋本さんが版築で小屋を作ろうとしていることを吉沼さんの学部時代の同期で今は信州の工務店で大工をしている方が両者を引き合わせたことにはじまる。吉沼さんと小生が初めてお会いした時に、生物の特徴を工業分野に応用する研究としてツバメが巣を作る時に使っている素材と土壁が近似しているところに着目し、どのように土が固まるのかなどを研究していたと興味深い話をしてくれた。彼は日々土壁という素材に対して科学の目線から可能性を考えている研究者なのだ。そうした科学的な視点と橋本さんの左官職人としての視点が合わさった版築小屋なのだから特別でない訳はない。
実際に版築の土を叩き詰める時には彼の研究室の同僚や後輩などを連れて、大所帯の若者たちが我を忘れて馬車馬のように版築の作業に没頭してくれた。出来立ての版築小屋に身を置き、その当時の様子から振り返り、話はあらゆる方向に。これも土壁に囲まれた空間、故のことだろうか。
次回のエピソードでは吉沼さんを交えた対話の中から「無垢になる、無垢である」ことについて考えていく。