025_魂の古里(ふるさと)

words :

Kensuke Iwai

 「三つ子の魂百まで」という言葉がある。

 幼少期の経験や教育が人間形成の土台となる重要性を説いた言葉で、その由来は平安時代の『源氏物語』にまで遡るとされている。この言葉が真であるならば、橋本左研の橋本さんが左官職人として使っている「土」と出会ったのは、やはり幼少期の頃であろうか。いやはやそれは「土」というより、土に水分を多分に含ませた「泥」なのかもしれない。小さい子どもであれば少なからず一度は通るであろう泥団子作り。泥の状態で成型していきピカピカに磨き上げ、日の光で乾燥させて作るそれである。橋本さんももれなくそんな原初の体験を保育園時代に通ってきたそうだ。

 信州・上田の古里(こさと)エリアに位置する「あゆみ保育園」。1981年に認可保育園として開園し、今もなお続いている上田の中でも歴史ある保育園だ。橋本さんはこの「あゆみ保育園」を卒園した。園のマスコットキャラクター「泥だんごちゃん」が示すように、それだけでも橋本さんのルーツを感じさせてくれる。そして何より、この園が大切にしているのは、日(太陽)、土、水などの普遍的な自然の有りようを五感で感じるというところ。まさに今、橋本さんが左官職人としてなくてはならない自然の要素というわけだ。

 

 こうした橋本さんの今に通じる要素がある中で、とある日に、当時橋本さんと縁のある先生方や同期に集まっていただき、橋本さんの“三つ子の魂”をさらに探る機会をいただいた。緊張した面持ちで園に足を運ぶ橋本さん。無理もない、ほぼ卒園式ぶりに園に足を運んだのだから。

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園舎は増築などをして今と昔は異なる環境になってしまったが、今ある砂場や裏門などは当時の面影を残している。

 始めこそ数十年ぶりに再会した友人や恩師たちとの会話はぎこちない感じだったけれど、「園舎は、昔この位置くらいだったよね」「そうそう、園庭が狭くてね」なんて昔話をしているうちに、そこには当時と変わらぬ時間が流れ始めていた。その場には「あゆみ保育園」が許認可を受ける前身の「あゆみ共同保育所(1968年発足)」を立ち上げ、初代園長を務めた大安ヒデ子先生も駆けつけてくれたのだ。いい歳の大人になった卒園児たちを目を細めて微笑んでいらした姿は、ここでしか成し得ない状況となった。

 

 そうした面々で「みんな」というキーワードについて話をした。というのも橋本さんのパーソナリティとして誰に対してもフラットで上下を感じさせないところがあるからだ。そして「あゆみ保育園」としても「みんな」というキーワードをことあるごとに表に出していることや、親、先生、子どもの立場に関係なくそれこそ「みんな」で保育を行なっているということもある。意識的にも無意識的にも、橋本さんのものの向き合い方に少なからず影響を与えているのではないのだろうか。

 

 その場では、「子どもは大人の言うことを聞くべき存在ではない」、「〇〇先生というのは、卒園した後に振り返って先生だと感じればそう言えばいいもので、保育園の時はみんな仲間だから呼び捨てでもいい」、「先生たちも子どもたちに負けじと遊ぶこころを持っている」「大人、子ども関係なく、人間誰しもが自由を求めている」といった言葉やそれぞれが考える「みんな」という言葉が持つ意味や価値、そこから広がる哲学のようなものを共有する時間となった。そこには善し悪しで量るような何処かから借りてきた “友情”という言葉の中にあるよそよそしい感じはなく、その言葉が持つ意味以上の、存在としての肯定感がある。「みんな」がただそこに在る感覚なのだ。園を立ち上げた大安先生にこうしたことを最初の頃から理念などで掲げていたのかと聞くと、「そうしたものは全然なかったよ」とニコニコした笑顔で応えてくれた。

 

 改めて「保育」という言葉を見てみると「育みを保つ」と書く。仮にそこにたった一人しかいなければ何も始まらないし、育まれることもないだろう。けれどそこに「みんな」がいるからこそ、こうしたものが育まれてくるのだと、そう感じるのであった。

 

 園舎を出て別れる時に、橋本さんが「なんか、これでいいんだって安心する時間だったな」と数時間前とは対照的な柔らかな表情で呟いていたのが印象的だった。

 ただそこに在る、という幼い頃に感じていた無垢の肯定に再会した大安心。

 ここには紛れもなく、魂の古里(ふるさと)があったのだ。

古里

昔、物事のあった里。由緒(ゆいしょ)のある土地。自分の生まれ、又は幼少の時をすごした土地を示す。