「むすんで ひらいて てをうって むすんで」
このフレーズは、誰しもが幼少期に保育園や幼稚園、はたまた祖父母や親兄弟と一緒に歌ったことがあるのではないだろうか。左官職人という仕事やその周辺をライティングしていくにあたり、土にまつわる様々な本を手にしてきた。その中で、今でこそ当たり前に感じられることなのだが、左官で使う『土』はカタチあるものにすることもできるし、役目を終えればその『土』を解いて土壁を解体することもできる。そうした単純なことがまさに目から鱗だったのだ。言い方を変えれば『土』は結ばれ土壁になり、開かれることで素材としての『土』に還っていくのだ。様々な素材が溢れかえる今だからこそ、その当たり前の事実に逆に新鮮さを感じることができるのではないだろうか。「むすんで、ひらいて…」、冒頭の童謡が頭の中に浮かび流れてきたのだった。
元来日本人の生活は全て自然の循環の中に溶け込み営まれていた。特に明治期に入る以前は住居についても、そこの集落の住人たちが集い、一種の祭のごとの如く、その地域で手に入れることのできる土を集め、それを皆で泥だんごにして壁となる場所に投げて泥の土壁を形成していったそうだから、とても原始的なつくりなのだ。幼少期に誰しもが通るであろう泥だんご作り。私たち人類がおそらく生まれてきて最初に形作るものは土を使った何かであり、そのDNAには土を使うという記憶が確かに刻み込まれ、ほぼ無意識的な感覚によりそれらを用いていったのではなかろうか。
冒頭の童謡の作曲家はフランスの思想家・著作家ジャン=ジャック・ルソーなのだが、作詞者は不明。不明とならば、村人たちが土壁を作るために、土を捏ね、泥だんごをこさえている時に皆で歌ったことがきっかけで生まれたのではないのかと、妄想と期待に胸を膨らませてしまう。
左官職人の仕事は、土だけでなく、砂、コンクリート、セメント、モルタルといったようにさまざまな素材を使って鏝1つで仕上げていく。橋本左研はこれらの中でも近年では、土壁づくりに特に力を入れている。きっかけとなったのは自分の生活リズムと仕事とのバランスだったと橋本さんは振り返る。
忙しさとは何か。そう自分に問いかけそうして自分の礎となる生活の時間、つまり生きる時間をどう捉えていくのかというところに考えが行き着き、それらを見つめ直していったそう。
そんな橋本さんにイメージしている理想の生活はあるのかと問うてみた。
「理想の生活というのは、まだぼんやりとしている段階だけれど、何となくそれに近づくような条件といったようなものは見つかってきていて。一つ目が家で料理をして食事をすること、二つ目が読書をすること、最後が散歩をすること。」
これらの小さな日常の積み重ねを繰り返すことで自分自身が満たされていく感覚があるのだそうだ。こうした礎を整えていく中で、人々が生活していく上で欠かすことのできない、水や食べ物といった根源的なものへの感受性などが高まってきた変化を嬉々と語ってくれる橋本さんの顔が生き生きとしていることがとても印象的だった。
わたしたちは社会と自分との関係性の狭間で生きている。それらのバランスが一つの円を描くように無理なく循環していくとバランスが取れるのかもしれない。最近ではそれらの根源的な興味から家庭菜園の畑づくりへと広がっているのも面白いところ。なぜなら左官と畑で共通するのは、もちろん土だからだ。壁をデザインするように、畑もデザインしていきたいそうだ。
とある現場の土壁を見せてもらう機会があった。そこには『檜垣』という一度目の荒壁を塗った後で、壁の乾きを早くしたり次の工程の引っ掛かりのために鏝を使い壁に鏝の跡を付ける、ある種の模様が刻まれていた。静謐さを纏った土壁に並んだ『檜垣』の模様は特に美しいのだが、この『檜垣』が水捌けの悪い畑に溝を切り乾燥を早めているのと同じようで、土という素材を通して左官と畑の共通点を見つけられたような瞬間だったのだ。
いのちがあるものは皆いずれ土に還っていく。
土はそれらを無にして、そして新たないのちの芽生えに寄与していく。
「むすんで、ひらいて」わたしたちの仕事も生活もそうした円環の中にあるのだろう。