旧街道がある。自動車などが行き交う今メインとされる道路に比べて幅員は狭く、利便性の観点からも交通量もそれほどでもない小さな街道だ。けれど長い間、そこを行き交う人たちがおり、出会い、そして別れるといった、いくつもの時間をそこで見守ってきた。そうした旧街道には、一瞥をくれるだけで印象に残る建造物をよく目にする。よくいえば寂び感が強く燻みがかった白の漆喰の壁を身に纏い、厳かな瓦屋根で頭上を覆い、正面は由緒正しき家紋が鎮座する土蔵。そしてそれに付随する土壁の建物である。旧街道を挟む家々が同じような建物であれば、ともすると印象は少し異なるのだろうが、悲しいかな、そういった時間の流れを感じられる趣ある家の横には、どこにでもある金太郎飴のように規格化されたアパートやマンションが立ち並ぶのだから、きっと旧街道も憂いているはずだろう。
『左官』と聞いてまず思い浮かべたのが、こうした時代の荒波に飲まれてしまっている古びた土壁の建造物を憂う光景だった。その反面、業界誌『左官教室』の編集長を長らくつとめた小林澄夫氏によれば土壁は日本人の美意識と呼応するものだとしてこう語っている。
「野良のはずれにぽつんと建つ泥壁の納屋は、技術以前の技術、手の延長であるようなわずかな道具と手仕事でつくられている」とし、そこに「名付けえぬヨロコバシイもの、ひとの心を魅了してやまないものがあるのではなかろうか」。これの意味するところを一言で言ってしまえば、『儚さ』とでも言い換えられるだろう。考えてみれば基本的な材料は土と水という自然界の源である素材だけで原材料が作られていることがほとんどで、土壁で使われていた素材は、解体すれば全て自然に還ることができるのだ。そこにあるはずのものを分解していくと儚くも自然へと還って、そこにないものになっていく、こうした土の姿から感じられる無常感が日本人の持つ美意識とも呼応し、その集積となる構造物が、我々人間とて、そもそも自然の一部で同じなのだという大安心を、どこかで思い起こさせてくれる存在なのかもしれない。
さて、前置きが長くなったが、日本的モダニズム再考計画である。江戸時代に隆盛を極めた『左官』という塗り壁技法も、明治から近代化が一気に進み、戦後復興、高度経済成長を経て、日本の建築環境やライフスタイル、そしてそれに伴う価値観や美意識なども変化し、今となってはそうした建造物は先に言及したように減少の一途を辿っている。欧米諸国のそれを礼賛するのも良いが、日本人の美意識に呼応するような土壁のある空間や『左官』という技法をもう一度見直し、近年忘れ去られてしまっている日本的なモダニズムを再考していこうという計画なのだ。