誰しもが好きなことを仕事にしたいと思っているはずだ。けれどその好きなことを仕事にして暮らしを回していける稼ぎを生み出し、成り立たせることができるのだろうかと不安に思い、いつしかそれはいつかの夢の如く、いつもの現実へと引き戻されてしまうのではないだろうか。
こうした好きなことを仕事にしている人が特別なのだろうか。いや、それはきっと違うだろう。そういう人は何かを“自由”に表現し、それが人々の共感を生み出し伝播していった結果そうなったに過ぎない。小さくとも何か表現することでそれが直接的な起因とならずとも、人生の歯車が回るきっかけになっていくはずだ。
橋本左研を“作る研究”と捉えてもいいかもしれないと話をした前回。
ではそれをどのように表現していくのかということをMaruCafeの真理さんと橋本左研の橋本さんのそれぞれの表現に対する考えとともに紐解いていきたい。
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真理さん(以下M):自分が良いなと思った感性を誰かにお裾分けしていくみたいな感覚はどうですか。手がけたお家とかちょっと見方を変えて、“自分の一部”を分けたみたいに捉えてみるとか。
橋本さん(以下H):いやでもそういった感覚ってある気がしますよ。例えば以前土壁をやった家の家主から壁を見るといつも橋本さんが近くにいるような気がしてとても嬉しい、なんてことを言ってもらえたりしたんですが、それって伝わるんだって嬉しい気持ちになりました。
岩井(以下I):料理でそういったことはありますか?
M:農家さんのものがお客様に届いたという感覚はあるのですが、自分はその場を作れたという満足感がありますかね。自分が関わってその人の今にあった状況を楽しくお互いに作れた時はやって良かったという感じです。喜ばせてあげようとか大それたことではないですが、自分のキャパシティの中でちょっと遊びを入れつつ、それがフィットした時は、ああ良い仕事したなって気持ちになります。
H:無理がないですよね。だから続いていくというか。
M:そう、やっぱバランスですよ。どちらかが無理したり合わせようとしていると、なかなか健康的な循環が生まれなさそうだなと思います。
I:料理をする時は素材を見た時にこういうアレンジしようかなってアイデアが浮かんでくるのですか?
M:構成ですよね。どういう場でどういう人たちがどんなふうに食べるのかというところから考えて今ある材料を選んでポジションを決めていく感じです。だからその時のことしか考えられないですね。
I:演出家みたいですね。
M:先々のことを考えて段取るということも、もちろんあるのですが、今にフォーカスをしているのであまり考えられないですね。どんな場でこういう人たちがいて、この時間帯ならこのお皿で食べる料理だなというところから考えて今ある材料と相談しながら、足りない部分は補ってという感じで考えていますね。
H:急遽当日になって変更みたいなこともあるってことですよね?
M:もちろんそういうこともありますね。料理の順番変えるとか、やっぱりこっちの材料を使った料理の比重を大きくしようだとか。
H:それが自然ですもんね。
M:そう、結果が良ければ。綺麗だった、美味しかったというところがイメージの源であり目指しているところなので。自分がどうしてもこれが作りたいからということはないですね。どうしても必要だったら作りますけれど。橋本さんもそんな感じしませんか。具体的なカタチというよりは空気感のような。
H:自分はそういったところは逆にイメージしないんですよ全く。左官ってその時の素材の状態で結構変わってきてしまうものなので、そこにいる仲間とそこにある素材でパッとできたものが100%なのかなって感じで。やりながら作っていくということです。
季節、温度、湿度、仲間が秒単位で変わっていくので、結果できたものが全てなんですよね。思い描いていないというか。きっとそのプロセスがあるから自分が想像している以上のものが出来上がるなっていう。そういう見えない自然の作用に委ねているんですよ。
M:そのプロセスだと仕上がりに美しさのほかに驚きが加わりそうですけれど、だとするとどうなるか分からないから、土壁を塗っている時は『お願い!』って祈っている感じですか?
H:塗って乾いている段階はそう思う時もありますね。でも最近土に関しては塗っている段階でわかるんですよね。大丈夫だろって。
I:土壁を塗っている時がすでに美しいですもんね。真理さんの中ではどういうものが美しいと思うんですか?
M:それはもうあるがままであることなのではないですか。自然体であるということ。誰しも装っているなと思う時もありますからね。でもそこに愛嬌があれば好きかも。私はそういうユーモアとか無邪気さとかがすごく好きなので。
H:そういう無垢な感覚を共有したもの同士がそれぞれのために何かお金ではないところで自分の作ったものを誰かに渡せるって、すごく幸せで美しいじゃないですか。そういったものを自分の手で作って手渡していきたいなと思うんです。
M:橋本さんはそういう機会や受け皿になっている印象がありますよ。「よーし、みんなやるぞ!」みたいな。とりあえず来いって声を掛けて何かが始まっていくような。
H:どちらかというとそういった場の雰囲気が好きなのかもしれないですね。
M:すごく向いていると思いますよ。誰が来るかわからないし、何をするかもわからないっていう状況の親分のような。それって土などの素材を触っている時の感覚に近いのかもしれないですね。ガチガチに締めるのではなくて、それぞれがその時間を共有することでなんとなく場がひとつにまとまっていくような。
I:真理さんはこれからの展望は何かあるんですか?
M:今は整理整頓をしていて、さあ!って感じな気分ですね。飲食店からスタートして販売所、加工所、さらに宿がはじまって、しょっちゅうマーケットイベントなどにも出店していたりしていてすごい色々やっているねと思われているだろうけれど、やっている中でもここの部門ではここをやっているという状態に絞り込めてきたから、それをもう少しわかってもらえるように示していきたいですね。外部のメディアに出て発信したり、民藝館の季刊誌に寄稿したりと今はそういう機会をいただいているので、もう少し意思表明をしていきたいという心境ですね。もうスタートして10年経つので。
I:何年くらいのスパンで物事を捉えていますか?
M:今まではとにかく必死だったけれど、私個人の中だったら10年かな。だから次の10年を考えていますね。そこが終わったらどうなっているかにもよるし、結果と自分の状況と気持ち次第ですけれど、もうそれで後は引退みたいな。畑と鶏とMaruCafeだけで、一杯飲める夕方の店をはじめる、みたいな。もうガーって働くのはあと10年くらいなんじゃないかなって思っていたりもします。体を動かす仕事だから年齢を重ねるごとに若い頃のように働けないのは確定していることですし、できれば生涯現役で世の中の役に立てるようなことをやっていけるような教育分野とか自分のできることを飲食業界以外の分野でできればなってぼんやりと思っています。今、向かいの小学校のところで食育関係のことをボランティアでやっていたりもするのもその一つです。
ずっと結構頑張ってやってきているので、それが10年でちょっときついなって思っているのも正直なところで。何か物書きをしたりして合間に畑で野菜を育てたりとか少しペースを落としつつ、でも生涯現役な感じで仕事をしているような形が理想です。3割の時間で仕事をして残りは生活の部分に費やしていきたい感じです。畑耕したり、薪割ったりとか。ちゃんと暮らそうとすればやっぱりそれなりの時間は必要になってくるから。そこが今逆転してしまっている現状ですよね。世の中的にも。
H:僕は今、実験的ではないですが感覚的にそういう仕事と生活の時間配分を調整していて。建築現場って8時から17時が仕事の時間って暗黙の了解があるけど、僕はそこら辺は自分の裁量とやらなければいけない仕事量を見極めて、朝ゆっくりの時もあれば、早上がりする時もあるんですよね。もう8時から17時って決められていることが違和感でしかなくなってしまったというか。でも現場によっては、「あれ?上がるの早いね」なんて周りの職人さんたちから言われてしまったりもするけれど、それでもでもねって。建築現場ってそういう決まりきったスピード感の中で進んでしまっているから、本来自分が表現したいことを表現する場としてここではないどこかを、どうしても考えてしまうんですよね。
それにこうして暮らしをベースに時間配分していかないと、仕事のベースとなる暮らしが疎かになって結果仕事にも影響していくように思うんですよね。実際にそうしてやってみると、見える景色が変わってきたし、感じ方も変わってくるのが面白いんですよ。より研ぎ澄まされていくというか。
I:自分で決められるってとても大事ですよね。自分で舵取りができる『自由(自らに由る=自分が何かの原因となる)』なところはありますよね。
M:本当にそう!私は幼い頃から何でみんなは自分で舵を取らないのだろうか、生きたいように生きられないのはおかしいって子どもの時からずっと思っていました。ウチは教員一家だったから見えないレールみたいなのはあったのかもしれませんが、(うーん、私はそっちにはいかない)みたいな感じでしたね。自分が納得していたらそちらの道でも良かったのですが。
だから自分らしく生きられないのがすごく不思議だなって思っていて、今も国とか性別とか生まれとかでその人の本来望んでいるような生き方ができないのは変だなって思っています。みんなできるよ!っていうのを私が実験台になってやろうというのも思っていた時期もありましたし。私ができればみんなできるんじゃないって。何もないところから本当にスタートしたので。
H:一方でそういうのが周りに浸透していかない限りは自分の願っている暮らしってなかなか難しいのかなって。人は人、自分は自分といったところで人と人とは繋がっていくじゃないですか。やっぱり今の常識やスピード感で生きている人が大半だと思うから、そういった方たちが増えていかない限りはちゃんと回っていかないですよね、きっと。
M:でも意外に共感してくれる人っているんだなっていうことも感じますよ。だからこそ自分の意思を示す表現が大切で、それに対して共感してくれる人たちが集まってくれている。表現って私の中でそういうものでありたいなって思っています。そう、なので「野菜って美味しいね」って言ってもらえたら私の表現がちゃんと伝わったということなので、それが自分にとっての一番の褒め言葉ですね。
H:自分が表現したいこと、自分が用いる技で表現できることに還っていくっていうことが一番自然なことなのかもしれないですね。個人が畑や庭を作っていくような感覚で。畑や庭って自分の食べるものを作るだけじゃなくて自分の暮らしを作ってくれるものでもあるので、考え方を育ててくれるみたいな部分があるじゃないですか。
だから自分も誰かのためというよりは、自分が楽しくて表現したいことを表現していく。それを誰かが偶然目にしてくれて喜んでくれたりって、そういうことをしたいなってことですよね。
M:そこがないと続いていかないと思うし、そうしたエネルギーやパワーってすごくピュアなものですからね。だからそこにピンときた人が共感して共鳴して豊かになっているイメージが湧きます。
完