橋本さんが自邸を構える信州・東御市の御牧原は信州の東側の東信を代表する“絶景”が広がっている。何が“絶景”かと聞かれれば、冬の時期に遠くに広がる北アルプスの大パノラマは、“絶景”という名を欲しいままにしている。けれど、“絶景”と言われる所以はそれだけではなく、そのエリアに広がる日常の風景にこそあると感じる。
時期によって色々な姿を見せてくれる緩やかな丘に広がる田園風景。標高700mから800mほどの高台に位置するため涼しく爽やかな風があたりを包み込み、晴れた日にはやけに広く感じる青空、そしてその中に点々と佇む住まいなどが広がる日常の景色がそう感じさせてくれる。一つ一つは他の町や都市にもあるはずの要素が絶妙にバランスよくマッチしているところが日常を特別な風景にしてくれているのだ。そしてこのエリアで外すことのできないものが、ため池だ。川が流れていない台地のため農地の水不足を補うために大小様々の無数のため池が作られており、先の要素に加えて特別感を演出してくれている。



橋本さんの自邸の裏、畑の先にも御多分に洩れず、ため池がある。そのため池を囲むように雑木が生い茂っているので、ため池だけがむき出しになっているその他の場所に比べてより自分の内面が水面に写し出されそうな静寂な池という感じがしてくる。
以前共通の知人と一緒にこの場所を訪れた際は、その知人は、「自分は普段ただただ昼夜を問わず忙しくしていて一体何をしているんだろう」、と都内で個人の設計事務所を忙しなく営んでいる自分の日常を改めて省みながら、ここではないどこかの幻想の風景の中に迷い込んだかのように物思いに更けてしまっていたのが印象的だった。
その彼だけではない、かくいう私もその一人。初めて橋本さんの自邸を訪ね、あらかた家の中などを案内してもらった後の最後に見せていただいたため池に、いい意味でそれまでの案内を全て忘れさせられてしまうようなインパクトを感じた。そして他のものがなくとも、これだけがあれば十分という感覚にもさせてもらった。きっと先の知人もそうした足を知る感覚を受け取ったのだろう。
その風景と感覚は、かつて頻繁に旅をしていたフィンランドやスウェーデンの田舎町の森の中にひっそりとあった湖の様相を想起させ、近いものを感じさせてくれるのだった。そこにはサマーハウスと小さなサウナ小屋があることがほとんどで、見知らぬ誰かの日常の中の憩いの場として未だ見ぬ静かな風景のイメージを膨らませてしまうのであった。
そんなことを頭に浮かべながら、橋本さんに「ここにサウナ小屋があったら完璧ですね。」と何気なく声をかけると、まさしくといった表情で、実は今度そんな計画を学生たちとやりはじめるといったことを語ってくれたのだった。
ひっそりと佇む池、それにサウナ小屋。
これだけあれば十分なのではないだろうかという“絶景”の風景が、ここから生まれる。
北欧諸国の人々が夏を過ごすためのセカンドハウス『サマーハウス』。日本語で『別荘』という響きは少し贅沢なイメージがあるが、北欧のそれは、自然を楽しむ夏の間の小さな家といったところ。便利な都市生活の反面、サマーハウスはインフラ面などは最小限に備えられており、自然の中で自然のリズムで過ごすことにより、人間本来の感覚を取り戻せるような場所になっている。