作る仕事をしているのだから、ここをこうしたいだとか、あそこはああでなくてはといったことの一つや二つは思い浮かぶはずだろう。そうして出来上がった最たるものが、所謂、陶芸家や工芸家などが自身の独創性や個性を表現して一点一点手作業で制作されたでよく聞く“作家もの”だったり、有名建築家の建物といったことだろう。しかしそれは多くのものづくりをする者たちの氷山の一角であって、皆がみなそうした個人の意匠を全面に表現したいとは思っている訳ではないはずだ。
橋本さんと左官の話をしているとよくこの『作為と無作為』というキーワードがよく出ることが多いように思う。言い方を変えれば『人工と自然』ともでも言えようか。橋本さんは職人としての個人の想いとしては、無作為で自然なものを美しいと思っているということが、携わる仕事や普段の言葉の端々に表れている。




左官の成形方法に『版築(はんちく)』という手法がある。古くは今のようにセメントなどがなかった時代に、土を確実に固める技術として古代から続く建築技術ひとつだ。その土地の周辺から出る土を用いて、型枠の中に土を流し込み、上から叩き詰め固めていくことで、長年積み重ねられた自然の地層のような表情を、人の手によって作り出すことができるのだ。
これは日本国内のみならず国外にも、いや人類の建築における叡智のような技法になるため、中央アジアのブータン王国、ネパール、北部インド、北アフリカマブレブ諸島等で、現在でも住宅建築等の構造躯体に使用されているそうだ。
こうした古来からの技術は我が国でも1200年以上もの歴史があり、古くは奈良の薬師寺や法隆寺、近代までは土蔵の構造として使用された姿をみると、『版築』で仕上げた建物が1,000年以上もの長い年月を経てなお、その形を留めていることが、『版築』の持つ建物としての強度と優れた性能を立証している。
けれど、先に挙げた通り、現在では、建設工事のスピード化、ローコスト化等に伴い、現代に建てられた建築物において、その姿をみることは無くなってしまったのではないだろうか。
こうした時代に伴う風化やその状況を鑑み、仕上げとしてあたかも『版築』で土を叩き詰めたような風合いにみせるような、塗りの技法は左官職人の間では行うこともしばしばあるそうだ。けれど、これは先にいう“作為”の方に分類されるのでは、と橋本さんは語る。けしてそれがダメだとか認めないということではなく、自分が行うとしたら古くからの技法を用いて行いたいという、個人の意思の表れに過ぎないのだろう。
自然の土がみせる地層のような、時間の凝縮を感じる表情が生まれる『版築』。意思はあっても作為のないこの手法で自然の姿を想起していく。
土を建材に用い強く突き固める方法で、堅固な土壁や建築の基礎部分を徐々に高く構築する工法を指す。
もともと石灰分を多量に含んだ微粒子から成りこの工法に著しく適した黄土が広く堆積した黄河流域で古代から用いられ、特に発展を見せた工法である。なお版築で作った壁等の構造物自体を指して版築と呼ぶ場合もある。